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2015.09.15

【VOICE PLUS INTERVIEW vol.3】佐藤希久生

月9ドラマ『恋仲』の主題歌に起用され、大ヒットを記録した家入レオ10枚目のシングル『君がくれた夏』。
Billboard JAPANウィークリーチャートで1位を獲得、さらに同ドラマにおける数々の名シーンを彩る印象的でせつない楽曲としても多くの反響を呼びました。
西尾芳彦によるツボを押さえたメロディワーク、家入レオの緩急自在のボーカルと共に、楽曲のアレンジメントで世界観作りに大きく貢献したアレンジャー・佐藤希久生氏にお話を伺いました。

Q 今回、かなりタイトなスケジュールでの制作だったと伺っていますが、制作の流れ自体は今までと変わりましたか?

流れ自体はある種いつも通りだったかも知れませんが、1日目に先生の曲作りと同時にプリプロ的な作業をし、次の日のうちに各種楽器の録音とアレンジ(直し含む)を仕上げデータを送り、その翌日には仮歌を録らなければならないというスケジュールだったので、失敗出来ないというか一発で決めなきゃという緊張感はありました。

Q 今だから話せる『君がくれた夏』制作における苦労話などがもしあれば聞かせてください。

苦労話とは違うかもしれませんが、『君がくれた夏』の制作時、実は西尾先生は入院されていて、その病室へ僕がギターを持っていき曲作りをしていました。途中からレオちゃんをはじめ、事務所の方々も来まして病室が満員の異様な環境で先生は作曲していました!!よくこの状況で曲が作れるなぁと思いつつも、先述したように、アレンジや録音をする時間も限られていたので、どういうアレンジにするか想像しつつ先生の曲を聞いていました。最初、病室へ入った時は体調がとても悪そうに見えた先生でしたが、気付けば2曲も作っていて驚きました!!

Q まさに「今だから話せる話」ありがとうございます(笑)
では具体的な事をお伺いしていきたいと思います。まずはアレンジの方向性についてですが、曲のメロディをもらった時点である程度固まっていたという事になりますよね?

そうですね。先生の曲が出来ていく過程で、自分のアイデアを伝えて先生のイメージとの擦り合わせをしていきました。曲・メロディが既にとても雰囲気があったので、素直にストレートにアレンジする方向性ですよね、と先生と話していました。

Q 多くのリスナーがそうだと思いますが、私も初めて『君がくれた夏』を聞いたのは
やはり月9ドラマ『恋仲』の劇中でした。
放送初回から「このイントロが流れてくるだけで泣けてくる」というような反響がたくさんありましたが、まずはイントロの制作にあたって心がけた事があれば教えてください。

とても印象的なサビのメロディなので、それを生かそうと最初から決めていました。ただいきなりバンドインでエレキでテーマを弾いたら雰囲気がないので、アコギとピアノで切ないアレンジにしました。家入レオさんの2ndAlbum『a boy』収録の『Lay it down』のイントロでもやっているようなアコギのアレンジにピアノを加えようと考えていました。

Q 西尾先生は別インタビューで「サビの導入部は低い音から始める事は最初から決めていた」とおっしゃっていました。
さらにボーカルは力を抜いて歌わせる事にこだわったそうですが、ほとんどの楽曲は「サビ=大きな音で盛り上げる」という作りになっているように思います。サビに関して、アレンジの面ではどのような事を意識しましたか?

熱くギターで盛り上げたいところでしたが、あまりギターを全面に出すと歌が埋もれそうだったので(力を抜いて歌っているので)、弦やピアノで盛り上がりを演出しようと思いました。とはいえ、メロディ自体の動きがとても特徴があるので必要以上に劇的な弦やピアノのフレーズ・アレンジにはしていません。
実は、最終的な仕上げ段階でサビにひっそりとシューゲイザー的なギターの壁を忍ばせようと良からぬ企みを持っていたのですが、今こうしてたくさんの方に聞いて頂いている状況を見て、やらなくて良かったなぁと密かに安心しております(笑)

Q そのアレンジもちょっとだけ聞いてみたい気もします(笑)
2コーラス目、オケが一瞬ブレイクする部分がありますが、思わず耳を奪われてしまう秀逸なアレンジと思いました。こういったアイデアはどのようにして生まれてくるのですか?

残念ながらこれは僕のアイデアではなくて、アレンジの仕上げ段階で先生からブレイクを入れて欲しいとの要望でアレンジしました。とても切なくなるアレンジで、なんで自分で思いつかなかったんだろうと、とても悔しかったのを覚えています!!

Q 一部では一つのブランドとも称される『ゲツク』ですが、ドラマからご自身の作品が流れてきた時はどうでしたか?

『月9』で描かれるような時期(十代〜二十代前半)、僕は十代はプロのミュージシャンになる為、ひたすら練習やバンド活動をしていて、二十歳からは夜はハコバンで演奏しつつサポート等でライブをしたり、時折レコーディングに呼んでもらったり、残りは練習か曲作りという『月9』のような生活とは無縁というか、そういうものをある種放棄した生活をしていました。ですから、なんというか少しは報われたなぁという感慨がありました(笑)

ありがとうございました。

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